- KANAYAMA BLOG -

かなやま幼稚園ブログ

園のようす

かけっこ🏃

こんにちは!
今回はかけっこの様子をお伝えします📸

さて、今回はかけっこということですが
幼児期はまだまだ「位置について」「用意」の動作が難しくもあります
年齢を重ねればこの形の意味も分かってきますが、今は練習段階です🏃
しかし、みんな先生との練習を重ねてどんどん上達しています💪
ご家庭でも「いちについて!」「よーい!」と楽しんでみてください☺

「レッテル」は人をつくる?
先日、幼稚園外での話ですが
僕に「駐車されている車に、ぶつけたまま立ち去ったのではないか」
そんな疑いがかけられました。
もちろん僕に身に覚えはありません…笑

お相手の方は実際に園まで来られて、私の車を確認されました。
結果は何もなく、その場は平穏に終わりを迎えましたが、その日はいろいろと考えさせられました。

事務所に戻ると、そこにいた先生たちが口々に
「副園長がそんなことをするはずない」
「万が一ぶつけたとしても、黙って立ち去るわけない」…と
身に余るようなありがたい言葉です。

もちろん、
「あいつならやりそうだ」
「ぶつけたのに逃げたのか」
こういわれるような所作を日頃からしていては仕方がないのですが。

大人になると、他者から「自分がどう見えているか」を面と向かって教わる機会って、ぐっと減ります。
通知表も成績評価も、手元には来ない。
生前葬でもしない限り耳にできない種類の言葉かもしれません。
だからこそ今回は、不意に届いた周囲の“見立て”が、私の所作をそっと整えてくれた気がします。

これを園長先生まで言ってくれていたというのだから、みんなしてずいぶんいい他者評価をしてくれるなあ
と思う一方で、ふと背筋が伸びました。
「これは裏切れないな」と。
もちろん悪いことはできないし、こんな期待をしてくれているのかと。
そんな気持ちが湧きました。

ラベリング理論——“見立て”がふるまいを整える
この体験で改めて感じたのが、「ラベリング理論」と呼ばれる考え方です。
1960年代にシカゴ学派に属する、ハワード・ベッカーらによって提唱されました。

これは
「人は他者からの評価やイメージ(レッテル)を受け取り、それに沿うように振る舞いや自己像を形づくっていく」
そんな社会的な働きです。(簡単に言うとね)
日々の態度が評価を生み、評価がまた次の態度を整える。
どちらが先とも言い切れないですが、相互作用の輪が回っています。

ここで一つ、「立場が人を成長させる」という言葉を聞いたことはありませんか?
これは、役割への期待(周囲の見立て)がその人の所作や判断を“成長方向”へ押し出す、という現象の言い換えでもあります。
僕の場合、「=事故に適切に向き合う人」というみんなの見立てが、日々の所作への意識をもう一段引き締めてくれました。
レッテルは“人を縛る”言葉にもなり得ますが、扱い方次第で“背中を押す付箋”にもなるのだと思います。

幼児期にも同じことが起きている
幼稚園の子どもたちにも、まったく同じ現象が起きます。
「○○してくれて助かったよ」「よく気がついたね」という善いレッテルは、子ども自身の“らしさ”を育て、次の行動を後押しします。
逆に「落ち着きがない」「運動は苦手」といった固定的なレッテルは、子どもの可能性を刈り取ってしまいます。
まだ伸びる途中の芽を、小さく決めつけてしまうからです。

大切なのは、過度なプレッシャーにしないことと、一方通行にしないこと。
今日の姿に焦点を当て、明日の挑戦がしたくなる言葉で渡すのが要です。

特に運動会シーズンのこの時期「足が速い・遅い」などは話題に上がりやすい内容ですね。
このお話が参考になっていれば、ぜひ運動会を機会に意識をしてみてください。
その子なりに速く走れたら、「いつもより速かったね!」
走る姿がかっこよければ(理にかなっていれば)、「速く走れる走り方だったね!」
ちょっとの後押しが子どものやる気をくすぐります。

「性質」ではなく「行動」に光を
同じほめ言葉でも、性質(あなたはいつも○○な子)に貼るより、行動(今の○○がよかった)に光を当てるほうが、子どもは次の一歩を選びやすくなります。
性質固定型
 △「あなたは優しい子」
 → “ずっと優しくしなきゃ”という重さにつながる可能性も。

行動称賛型
 ○「転んだおともだちにティッシュを渡してあげたね。助かったと思うよ」
 → 具体的で再現可能。自己効力感(やればできた)に直結します。

「えらい」の取り扱い、少しだけ注意
教育の場面ではときどき話題にされるテーマで、つい口をついて出がちな「えらい」。
僕もついつい誉め言葉で使いがちです。
便利な万能語ですが、性質の評価として受け取られやすく、

・“大人基準の合否”に聞こえてしまう
・“評価されるからやる”に寄りやすく、内発的動機づけが育ちにくい
・“いつもえらくなければ”というプレッシャーになる

といった面があります。使うなら“行動と理由”を添えるのがコツです。

「えらいね」
「自分から片づけをはじめられたね(行動)。見ていてうれしかったよ(感情)。みんなが動きやすくなったね(意味づけ)。」

「えらい」は決して”悪い”ほめ方ではありませんが、使い方や場面、回数には気を付けていきたいですね。

★置き換えフレーズ例
・「今の工夫、とてもよかったね」
・「自分で考えて動けたね」
・「助かったよ。ありがとう」
・「昨日より速くできたね」
・「そのやり方、次も使えるね」

“凝り固まったラベル”は避けたい
ラベルは便利です。
短い言葉で状況を共有できるからです。
ただ、便利さはときに見方を固定します。

「泣き虫」「恥ずかしがり屋」などの定着語は、子どもの多面性を見えなくさせがちです。
「この子は運動が苦手」と決めてしまうと、小さな進歩に気づく感覚や観察眼が鈍ります。
偏見への第一歩とも言えます。

私たち大人側の工夫は、仮のラベル化と更新する習慣。
「”今は”こう見える」「”今日は”こうだった」という“仮の付箋”として扱い、観察が増えたら貼り替える。
掲示板は常に上書き可能にしておきたい。
これだけで、偏見に堕ちにくくなります。

さいごに
今回、私が思いがけず受け取った他者評価は、自分の所作を一段引き締めてくれました。
人は見られ方で変わります。
子どもも同じです。
だからこそ、善いレッテルは伸びやすい”地面づくり”として、悪いレッテルは”刈り取り”にならないよう細心の注意を払わなければなりません。
そして何より、ラベルはいつでも貼り替え可能で、増刷も改訂も自由だということを頭に入れておきたい。
この前提を、子どもを見守る私たち大人が忘れないこと。

「立場が人を成長させる」のだとしたら、私たち大人の“見立て”は、その子が立つ“舞台づくり”です。
子どもたちは、今日の一言で明日の自分らしさを描き直していきます。