- KANAYAMA BLOG -

かなやま幼稚園ブログ

園のようす

お部屋遊びの様子

こんにちは!
今回はお部屋あそびの様子をお伝えします📸

お部屋では、友だちと関わりながら遊んだり、制作にじっくり取り組んだりと、それぞれに好きな遊びを楽しんでいます
ブロックでは、剣や乗り物、かっこいい道具などを作りながら、子どもたちの発想がどんどん広がっていました
遊びの中で言葉を交わしたり、作ったものを見せ合ったりしながら、友だちとの関わりも生まれます☺

人も土遊び
子どもたちが園庭で土に触れていると、いつの間にか表情がやわらかくなっていることがあります。
砂場で山をつくったり、泥だんごを丸めたり、水を加えて感触の変化を楽しんだりする姿は、かなやま幼稚園では、日常の中にあるなんてことのない風景の一つです。
けれど、そのなんてことのない風景の中に、子どもたちにとっても、大人にとっても、大切なものが含まれているのではないかとあらためて感じることがありました。

■山奥の料理屋さんで
先日、山奥の料理屋さんの大将と話をしていた時に、印象に残る言葉がありました。
その大将は、都会で生まれ育ち、海外でも生活をしてきた方です。
いろいろな場所で暮らしてきた中で、自然に囲まれている今が一番ストレスがない、と話していました。

「都会に行けば、それは便利だと思う。けれど、人は土を踏むことで心が回復するところがあるのではないか」

そして、少し笑いながら、けれどとても実感のこもった言葉で、こう話していました。

「大人も土遊びしたほうがいいんだよ」

その話の中で、大将は土について「人間の根っこに近い部分に息づいているもの」と表現していました。
さらに、土に触れることは、インナーチャイルドに触れることでもあるのではないか、とも話していました。

ここでいうインナーチャイルドは、心理学やカウンセリングの文脈で使われる言葉として捉えたいと思います。
大人の心の奥に残っている、幼い頃の感情や記憶、素直な感覚のことです。

■土を踏むという感覚
現代の生活は、とても便利になりました。

道路は舗装され、建物の中は清潔に整えられ、移動も買い物も情報を得ることも、昔に比べればずいぶん効率的になっています。
都会での暮らしや、海外での生活を経験してきた大将の言葉だからこそ、その便利さを否定するものではなく、むしろその上で見えてきた実感なのだと感じました。

一方で、土を踏む、草の匂いを感じる、風の動きを受けるといった感覚は、意識しないと少しずつ遠くなっていくものでもあります。

土の上を歩くと、足元は少し不安定です。
雨の後はやわらかく、乾いている日はさらさらしています。
靴が少し汚れることもあります。
けれど、その均一ではない感触や、自然物ならではの有機性が、私たちの心をどこか落ち着かせてくれることがあるのかもしれません。

もちろん、土に触れれば必ず心が回復する、と断定できるものではありません。
それでも、自然の中に身を置いた時に、少し呼吸が深くなったり、気持ちがほどけたりする感覚は、多くの人がどこかで経験しているように思います。

■身近すぎて見えにくい自然
この地域で生まれ育ち、幼少期から身近に自然があった者にとって、土や草木、田畑の景色は、あまりにも当然のように周りにあるものです。
季節になると虫の声が聞こえ、雨上がりには土の匂いがし、園庭には草花があり、少し足をのばせば畑や自然の風景が広がっている。
そうした環境は、日常の一部として当たり前に受け止めてしまいがちです。

けれど、大将の話を聞いて、その当たり前の中に、改めてありがたさがあるのだと感じました。
自然が身近にあるということは、ただ景色がよいということだけではありません。
子どもたちが土を踏み、虫を見つけ、風を感じ、季節の変化に気づく機会が日常の中にあるということです。

こうして考えてみると、私たちの周りに当然のようにある自然は、幼児期の子どもたちにとっても、大人にとっても、心と身体をゆっくり整えてくれる環境なのだと、あらためて思いました。

■土や自然に触れる経験
子どもたちは、土に触れる時、ただ何かを作っているだけではありません。

さらさらした砂、湿った土、草の匂い、葉っぱの感触、虫の動き、風の冷たさ、日なたと日陰の違い。そうしたものを、目で見て、手で触れて、身体全体で感じ取っています。
自然は、いつも同じ状態ではありません。昨日は固かった土が、雨の後にはやわらかくなっていることがあります。
乾いていた砂が、水を含むと重たくなることもあります。
草花の色や虫の姿も、季節によって少しずつ変わっていきます。

その変化に気づくことは、子どもたちにとって大切な経験でしょう。
大人が言葉で教え込む前に、子どもたちは自分の感覚で「違う」「おもしろい」「もう一回やってみたい」と感じています。

土や自然との関わりには、決められた正解がありません。
きれいな形を作ることだけが目的ではなく、触れてみること、感じてみること、変化に気づくこと、友だちと同じ場所で過ごすこと、そのものに意味があります。
幼児期の子どもたちにとって、自然との直接的な経験は、知識として理解する前の、もっと根っこにある感覚を育てていく時間なのだと思います。

■大人の中にも残っているもの
子どもたちが夢中で土に触れている姿を見ていると、大人の側が懐かしさを覚えることがあります。

昔、泥だんごをつくったこと。
雨上がりの匂い。
手のひらについた土の冷たさ。
靴や服が汚れることも忘れて遊んでいた時間。

そうした記憶は、多くの人の中に静かに残っているように思います。
けれど、年齢を重ねるにつれて、汚れることを気にしたり、土に触れることを少し気恥ずかしく感じたりして、かつてあれほど身近だった土との距離は、少しずつ離れていきます。

大人になると、効率よく進めること、清潔に保つこと、予定通りに整えることが大切になります。
それは社会生活の中で必要なことです。

けれど、土に触れる時間は、その順番を少しだけ変えてくれるのではないでしょうか。
うまくやるより、感じること。整えるより、触れてみること。結果より、今ここにある感覚を味わうこと。
その意味で、土や自然に触れることは、子どもだけのものではなく、大人の心の奥に残っている幼い頃の感覚を、静かに呼び戻してくれるものなのかもしれません。

■大人も土遊び
大将が言っていた「大人も土遊びしたほうがいいんだよ」という言葉は、子どもと同じように泥だらけになりましょう、ということだけを指していたのではないように思います。

土を踏むこと。
自然の中に身を置くこと。
手を動かして、感触を確かめること。
便利さや効率から少し離れて、自分の身体の感覚に戻っていくこと。

そのような時間が、大人にも必要なのではないかという、実感のこもった言葉だったのだと思います。

子どもたちの遊びを見て、少し立ち止まること。
自分の中にも、かつて夢中で何かに触れていた時間があったことを思い出すこと。
そして、子どもたちが今まさにその時間を生きているのだと感じること。

その視点を持つだけでも、土遊びや自然との関わりの見え方は少し変わるように思います。

身近にある自然は、あまりにも当たり前で、時に見過ごしてしまうものです。
けれど、その当たり前の中に、子どもたちの育ちを支え、大人の心も静かに整えてくれる力があるのだと感じます。
都会の便利さを知り、海外での暮らしも経験してきた人が、自然に囲まれている今が一番ストレスがないと話していたことは、とても印象的でした。
土に触れる時間は、子どもにとっても大人にとっても、人間らしい感覚にそっと戻っていく時間なのかもしれません。